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大河ドラマ「龍馬伝」の予備知識として知っておきたい龍馬に関する5つの事

2009/12/28 One Comment

龍馬伝

大河ドラマ見る人の多くが、その時代の歴史や人物について多少なりとも精通している人で、自分の知識と物語の内容を照らし合わせながらドラマを楽しんで行ける人だと思います。なので、自分の興味や知識の薄い時代の大河はあまり見ない人が多いんじゃないでしょうか?

私もどちらかと言えばそういうタイプで、戦国時代や幕末など比較的知識のある時代の大河ドラマはよく見ていましたが、平安や室町などあまり知らない時代の人物が題材の年の大河は、ほとんど見た記憶がありません。

しかし、来年の大河ドラマはあの福山雅治さん主演の「龍馬伝」。

龍馬の事や幕末に全く興味がない人の中でも絶対に見たい!と言う人も多いでしょう。今回は、「龍馬伝」を見る為の勢い付けという意味を込めて、「予備知識として知っておきたい龍馬に関する5つのこと」を紹介します。

元になる知識は、司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」になりますので、ここは違うと言う方も多いとは思いますがご理解頂くようお願いします。

龍馬の名前

なぜ、この龍馬という一風変わった名前が付けられたのかと言うと、龍馬は生まれた時に背中に旋毛が生えていて、それが馬のたてがみのように見えた為、龍馬と名づけられたそうです。家族は千里を駆ける駿馬になるのではと期待したようですが、子供の頃の龍馬のデキがあまりにも良くなかった為、その「龍馬駿馬説」はすぐに無くなったようです。龍馬は意外とこの背中の毛を気にしていたようで、女の子みたいに人前で肌を見せるのを恥ずかしがったと言われています。

司馬遼太郎氏の竜馬がゆくの中では、生まれてきた竜馬の背中を見て父八平はこんな事を言っている。

「この子はへんちくりんなじゃ、馬でもないのたてがみがはえちょる」(中略)「馬なら千里の駿馬ということばがある。猫ならばどういうことばがあるかな。そうじゃ、泥棒猫というのがある。竜馬はどっちになるのかい。」

親馬鹿というのはどの時代にも存在するものなのでしょうが、竜馬の両親も変わった子供を授かった事で竜馬の将来に大きな期待をかけたようです。

また、龍馬は脱藩後、「薩摩藩の才谷梅太郎」という偽名を使い始めます。まずは何で薩摩藩なの?と言う事ですが、龍馬は1862年に土佐藩を脱藩しています。脱藩と言うのは当時、かなりの重罪でしたので、勿論龍馬は土佐藩から指名手配をされていた為、土佐藩以外の藩名を名乗ったのです。「でもそれなら、別に薩摩藩じゃなくてもいいのでは!」となりますが、当時、薩摩藩と言うのは絶大な権力を持っていて、尚且つ幕府に大変気に入られていたんです。なので、薩摩藩と名乗っておくといろんな所が簡単に素通りできるので薩摩藩を名乗ったのです。次に「才谷梅太郎」という名前ですが、龍馬の親戚に才谷屋と豪商がいてそこから苗字をとったようです。梅太郎は多分龍馬の感性でつけたのだと思いますが、何となく粋な感じの名前ですね。

ちなみに龍馬以外にも幕末の志士の多くは偽名を使っていました。例えば、龍馬と同郷で大政奉還に尽力し龍馬と共に暗殺された中岡慎太郎の偽名は、「石川誠之介」。

龍馬はデカイ

龍馬の身長は五尺八寸。現代の数字に直すと約175cm。あまり大きいという数字ではないですが、平均身長が160cm弱と言われていた当時としてはかなりの大男です。

竜馬がゆくの中でも19歳になった竜馬をこう表現しています。

城下の街路を歩いていても、人が目をそばだてるほどの堂々たる偉丈夫である。

龍馬はお姉ちゃん子

龍馬は早くに母親をなくしている為に、一番下の姉・乙女(おとめ)が母親代わりとして龍馬をしつけたようです。この乙女姉さんと言うのがすごい人で通称「坂本のお仁王様」と呼ばれるほどの女傑。家事や裁縫などの女仕事は苦手だが、剣術や馬術などはそんじょそこらの男では勝てないほどの腕前だったようです。龍馬は生涯この姉が大好きで何かあれば姉に手紙で近況報告をしてり、長崎の珍しいものを送ってやったりしていたようですね。

龍馬は強い

諸説色々ありますが、龍馬は剣の達人だったと言われています。その強さは、江戸の桶町千葉道場で北辰一刀流という剣術を学び、その免許皆伝を受けた程の腕前。あまり書くとネタバレになるので触れませんが、実際にも色んな修羅場を剣でくぐり抜けてきたようです。

竜馬がゆくの一文で、龍馬率いる土佐藩と剣の誉れ高い長州藩が剣術試合を行う場面があり、龍馬の強さについてこう書かれています。

先鋒の竜馬が、林乙熊を諸手突きで三間向こうまで突き倒したあと、長州方はかたくなったのか、竜馬一人の剣でばたばたと倒され、大将の佐久間仰吉もつづけざまに面を打たれて敗退し、土州方九人は、ついに竹刀をとらずじまいだった。(中略)竜馬の剣名が他藩にまで聞こえたのはこのときである。

要は、10対10の勝ち抜き戦で剣名高い長州藩を竜馬一人で倒してしまったと言う事ですね。

龍馬は女ウケがいい

兄一人、姉3人と比較的女性に囲まれて生活してきただけあって、龍馬には、この時代に強かった女性に対しての垣根があまりなかったと言われています。特に、先にも述べた乙女姉さんの影響が強かったのか、龍馬と親交の深い女性はみな、乙女姉さんのような利発で勝気な女性が多く、この手のタイプの女性に好かれる傾向があったようです。

竜馬がゆくでは、多くの志士をかくまい維新に大きな役割を果たしたと言われている寺田屋のお登勢と竜馬がはじめて会った場面で、お登勢が龍馬を見た感想がこう書かれています。

(なんと可愛らしい若者だろう。)眉がふとく、瞼が厚く、また顔一面にそばかすがあるのは武骨すぎるが、唇ものが、異様なほどにあどけない。無愛想なくせに、肌からにおってくるような愛嬌があった。(このお人は、おなごにも騒がれるかもしれないが、それ以上に男のほうがさわぐかもしれない。この人のためには命もいらぬというのが、多勢出てくるのではないか。)

事実このお登勢と言うのは、自分の身の危険をかえりみず竜馬のために尽力した。竜馬もこのお登勢を姉のようにしたい、実家から来る手紙はすべてこの寺田屋宛にしていた程信用していました。

もっと書きたいのですが、龍馬に関しては諸説色々あって、どれが正しいのかもはっきりしていない事がまだまだたくさんあるのです。なので、今回は龍馬伝の事前学習として龍馬に関する基本情報を5つ紹介しました。これで、来年の大河ドラマが少しでも楽しく見れれば嬉しいです。

龍馬伝のHPはこちらから
大河ドラマ「龍馬伝」

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