Home » Archive

和の暮らし カテゴリー記事一覧

アンティーク・レトロ帯の柄や色使いをインスピにして

[27 8月 2011 | No Comment | ]
アンティーク・レトロ帯の柄や色使いをインスピにして

以前、こちらの「着物や帯の柄や色使いをデザインの参考に」という記事で着物や帯の様々な和柄デザインを紹介しましたが、今回はその第二弾。
アンティーク・レトロな雰囲気を持つ「帯」に特化して紹介しようと思います。
下で紹介するデザインは帯の「お太鼓」部分に来るように付けられたもので、お太鼓とは、帯の結び方の一つであるお太鼓結びをした時に背中中央に来る大きな部分になります。
右上の写真を参考にして頂ければわかりますが、お太鼓は帯のメイン部分と呼ぶべき場所になりますので、やはり目を引く綺麗なデザインがたくさんあります。
今回は、その中でも、アンティークでレトロなデザインの帯を集めてみましたので、インスピレーションを呼び覚ますソースとしてお使い下さい。
帯デザイン

【画像ソース】SHOW ME THE OBI ! + THE SEVEN LUCKY HAIRSTYLES of OLD JAPAN (日本髪) | Flickr – Photo Sharing!
EIRYU — QUEEN of the POSTCARD GEISHAS (6) | Flickr – Photo Sharing!

【和柄デザイン】着物や帯の柄や色使いをデザインの参考に

[21 12月 2010 | One Comment | ]
【和柄デザイン】着物や帯の柄や色使いをデザインの参考に

今も昔も、人々にとってのオシャレといえば、ファッション。
今日、街中には、たくさんのブランドが混在し、さらには、国内のみならず海外からもたくさんの商品が輸入され、数えきれないほどのファッションアイテムが溢れかえっています。
そんな中から、カッコイイ・カワイイ・シブイ・・・アイテムを見つけ出すのがオシャレの醍醐味。
着物が一般的に着られていた頃も、服の種類こそ現代よりも遥かに少なくなりますが、人々は競ってよりオシャレなアイテムを探していたと思われます。
勿論、その頃の主なファッションアイテムと言えば、着物と帯。
今回は、そんな和柄デザインの参考にもなりそうな、オシャレでイカした着物や帯のデザインを32個ほど紹介します。
着物・帯のデザインギャラリー

以上で32個。
どのデザインもそうなのですが、まず真っ先に飛び込んでくるのが、色の美しさ。カラーピッカーなどを使って上手に色をチョイスしていけば、ウェブデザインにも活用できそうです。
和風のサイトを作るときには、こういった和柄デザインやカラーのモノを参考にすると良さそうですね。

和風ブログ・サイトランキングに参加しています!

昭和初期のレトロな東京が見られる動画~東京節~

[3 11月 2010 | No Comment | ]
昭和初期のレトロな東京が見られる動画~東京節~

最近、歴史ブームというかレトロブームというか、何かと古いモノに注目が集まっています。
特に「東京という街」に関しては、NHKのブラタモリが人気をはくしているように、
その土地土地の歴史や街の成り立ちが大きくクローズアップされ、東京という街がもう一度見直される結果になっています。(ブラタモリの詳細はこちらからどうぞ)
今回はそんな人気の東京、特に昭和初期のレトロな東京の動画を見つけましたので紹介します。
動画のタイトルは、「東京節 Tokyo_bushi (Marching Through Georgia) Enka」。
私もあまりこの東京節については詳しくないので、 Wikipediaの説明を引用させてもらうと、
(東京節とは)大正時代を代表するコミックソングの作品で、東京という土地に愛着を示しながらもそれを可笑しく表現した特徴的な歌である。1919年にリリース。元々のメロディーはヘンリ・クレイ・ワークによって作曲されたアメリカ南北戦争時のシャーマン将軍の海への進軍の様子を描いた『ジョージア・マーチ』(または『マーチング・スルー・ジョージア』 Marching Through Georgia)であり、それに添田が歌詞をつけたもの(資料によっては作曲者が添田知道(添田さつき)や神長瞭月とされていることがある。
という事になります。
下は、この東京節の動画の中から、いくつか時代を感じさせるレトロな場面を抜粋してみました。
昭和初期の街並み
画像が小さめで見にくいかもしれませんが、これ以上大きくすると粗くなっちゃうのでご勘弁を。
左:丸の内 右:銀座

左:浅草 右:国会議事堂

銀座や丸の内は、ロンドンの街並みと言ってもウソだとバレないくらい、洗練された感じがしますね。
人と風俗
まだ、この昭和初期くらいですと、街中には着物の方が結構いらっしゃいますね。
女性だけではなくて、男性の中にもいる。今では男性の着物姿はあまり見かけなくなりました。

左の写真ですが、建物の軒に書かれている文字は、「WARAINO OUKOKU 笑いの王国」、そして、そこから飛び出している幟にもかかれていますので、ここは浅草公園六区にあった常盤座だと考えて間違いないと思われます。
笑いの王国について私は何も知らないので、またWikipediaを引用させてもらいますと
笑の王國(わらいのおうこく、1933年4月1日 結成 – 1943年6月 解散)は、かつて存在した日本の軽演劇の劇団である。
1933年(昭和8年)4月、古川緑波(古川ロッパ)の発案による軽演劇の劇団「笑の王国」が設立、浅草公園六区の「常盤座」(現在のROX3)で旗揚げ公演が行われた[1]。設立の背景には、サイレント映画の終焉とトーキーの台頭によって、緑波ら人気活動弁士が職を失い、次の活路を見出さねばならなかったことがまずあげられる[1]。次に、六区ではなく浅草公園四区・浅草公園水族館での「カジノ・フォーリー」やほとんど四区に近い新興の「玉木座」(のちの松竹演芸館、現存せず)での「プペ・ダンサント」での榎本健一らの軽演劇に対抗しうる、六区の新しい演劇を、という意図があった[1]。(中略)「笑の王国」の演劇は、歌舞伎の演目を、めちゃくちゃに台なしにしてしまうような「アチャラカ」という手法を開発、観客を唖然とさせた[1]。
と言う事になるらしい。
古川ロッパという名前に聞き覚えがあると思ったら、今年フジテレビで放送されたテレビドラマ「わが家の歴史」で伊東四朗さんが彼の役をされてましたね。
右の写真の幟は恐らく笑いの王国の演目ではないと思われますが、民謡ジャズという響きが面白かったので何となく掲載しました。
東京節-動画
画像を紹介しただけでは歌が分からないと思いますので、動画も貼付しておきます。

また、このようなレトロな感じの動画を見つけましたら、ご紹介します。
今度は東京以外も探してみたいですね。
和風ブログ・サイトランキングに参加しています!

「貫地谷しほりとサシ飲み」ができる

[22 9月 2010 | No Comment | ]
「貫地谷しほりとサシ飲み」ができる

今回は凄く短い記事を一つ。
ワンカップでお馴染みの大関株式会社が運営するキャンペーンサイト「貫地谷しほりとサシ飲み」が人気を集めているようですのでご紹介します。
9月16日(木)にオープンしたこのサイトなのですが、コンセプトはタイトルの通り、女優の貫地谷しほりさんとサシでお酒が飲めるということ。勿論、Web上の疑似体験になりますが、どこか恋愛シュミレーションゲームのような感じがあって、ドキドキさせられるコンテンツになっています。
オープン初日の9月16日(木)には、アクセスが集中したためサイトが一時休止になったほどの人気ぶり。貫地谷さんファンのみならず、あまり友達がいないと言う方にもいいかもしれませんね。
かんたんな概要
サイトの使い方は説明するまでもないのですが、まずはこちらから大関のサイトにアクセスし、後は、下のように出せれた質問に答えていくだけ。凄くシンプルな作りです。

質問の答え方によっては、貫地谷さんが怒って席を立ったり、また、下ようなおもしろポーズをしてくれる場合もあります。

貫地谷さんファンは勿論、それ以外の人も普通に楽しめると思いますので、一度ワンカップを持ちながら、このサイトで遊んでみてはいかかでしょうか。
もう一度、この大関の「貫地谷しほりとサシ飲み」へは下のリンクからどうぞ。
■ 貫地谷しほりとサシ飲み
和風ブログ・サイトランキングに参加しています!

龍馬伝の頃の下田の風景・古写真を5枚ほど

[18 8月 2010 | No Comment | ]
龍馬伝の頃の下田の風景・古写真を5枚ほど

NHK大河ドラマ・龍馬伝の影響で、現在、日本全国に幕末ブームが沸き起こっていますが、今回紹介する古写真も、その幕末において非常に重要な役割を果たした土地・下田。
1853年にペリーが黒船を率いて浦賀に現れ、徳川幕府に開国を要求。翌1854年には、アメリカとの間で日米和親条約が締結され、下田港は開港されましたが、その後、ペリーの下田入りや、吉田松陰アメリカ渡航失敗などで、下田は度々幕末史にその名が登場してきました。
下は、ペリー来航から約10年後の下田の写真。
そんな歴史的大事件が起こっていたとは思えないくらい、平穏でのどかな生活風景。非常に味わい深いものが多いですので、まずはゆっくりとご覧になってください。

現在、ペリーロードと呼ばれる一画。川面に写る木橋と家を覆う屋根瓦に何とも言えない趣を感じます。

八幡神社へ通ずる道。明治維新よりも6年前にあたる1862年に撮られた写真。1862年と言えば、あの寺田屋事件や生麦事件が起こったのと同年ですね。

下田・八幡神社に集まる子供たち。写真を撮っている間このまま動かずに待っているのを想像すると凄く可愛らしいです。

下田近郊にある柿崎村の釣り師の写真。これを生業にしてるかどうかは分かりませんが、釣った魚が食卓に並ぶのでしょうね。魚を入れる籠なども良い雰囲気が出ています。

こちらも1862~1864年頃に撮られた写真。兄が妹に「書き」を教えているところです。妹は少し照れくさそうですが、みんな真剣に勉強しています。
こんなにも穏やかな風景や人物写真を見ていると、何か我々が想像する幕末のイメージとは大きくかけ離れていて、尊皇攘夷や開国、はたまた佐幕といって暴れ回っている志士達や幕府役人が本当に実在したのかと思えるくらい静かな感じがします。
小説家・司馬遼太郎氏が著書「竜馬がゆく」の中で、この時代を「猖獗」という言葉で表現していて、意味は、良くないものが暴れ回ったり猛威をふるうという事なのですが、その猖獗の状態にあったのは、もしかすると中央(京都や一部の江戸)のみで、遠方に住む人々は、それまでの300年とあまり変わることのない日常生活を送っていたのかもしれません。
あくまでも、数枚の写真のみでの判断、さらには写真を見た私の主観がふんだんに入り交じっていますが、これらの写真からは、蛤御門の変や池田屋事件、長州征伐や大政奉還などといった狂気とも言える幕末の出来事を連想するのは非常に困難です。
やはり、歴史を動かす出来事は、一部の人間によって創りだされて、後世に語り継がれていく。
しかし、大半の人というのは、そんな事も関係なく、今与えられている目の前の人生を、ただただ一生懸命に生きて行く。歴史的大事件が突発的に起こるのに時代がゆっくりと変化していくのは、そういう人々の人生のスピード、つまり、目の前の人生を一歩つづ進んでいく生き様が大きく関わっているのだなぁと強く感じました。
まだまだ、貴重な写真がたくさんありますので、折を見て紹介していきたいと思います。
【画像】SHIMODA Bakumatsu Scenes from 1862 – a set on Flickr
和風ブログ・サイトランキングに参加しています!

浴衣の季節になる前に覚えておきたいキレイな着付け(女子)

[11 7月 2010 | No Comment | ]
浴衣の季節になる前に覚えておきたいキレイな着付け(女子)

梅雨があけるとすぐにやって来るのが、花火やお祭りの季節。自然と浴衣を来て出かけることが多くなりますよね。でも、いざ、浴衣を着ようとすると、どのように着たら良いのか分からなかったり、どうしても綺麗に着れなかったりする。やっぱり年に数回しか着ない浴衣の着方は、ハッキリと覚えてないものなんですよねー。
そんな事を考えながら、先日はてなブックマークニュースを見ていると「着崩れないコツ、男性の着付けは?初心者でもできる「浴衣」の着付け」という記事を発見。浴衣の着付けや帯の結び方、さらには浴衣に合う髪型まで、多くのすばらしい記事がまとめられていました。
これは絶対に役に立つ!と思いましたので、このブログでも、その中からいくつか、浴衣着付けの参考になりそうな動画をピックアップし紹介しますね。
夏に向けての参考になれば嬉しく思います。
浴衣の着付け
浴衣の着付けで紹介する動画は全部で3つ。
一つめが「浴衣の着方」で二つめ・三つめが「帯の結び方」になります。
浴衣の着方

半幅帯 文庫結び

へこ帯

髪型
着付けが終われば今度は髪型。
せっかく浴衣を着たのですから、いつもとは違う浴衣に合った髪型にしたいですよね。
ここでは、浴衣に合いそうな髪型を作る動画を二つほど紹介したいと思います。
ポニーテールアレンジ

ハーフアップアレンジ

こちらの、「街ログ」には、他にもたくさんの浴衣に似合う髪型が動画形式で紹介されています。
興味のある方は、参考にして下さい。
【記事ソース】着崩れないコツ、男性の着付けは?初心者でもできる「浴衣」の着付け – はてなブックマークニュース
和風ブログ・サイトランキングに参加しています!